2019-11-06 第200回国会 衆議院 予算委員会 第3号
○安倍内閣総理大臣 ただいま坂本委員から、西南戦争の際に熊本城が焼失したときの熊本の方々の気持ちについて述べていただいたところでございますが、それぞれの地域にはそれぞれの地域の誇りがあるんだろうと思います。常にそこにある、見ることができる、あるいは、ふるさとに帰ったときに、ああ、帰ったんだなと、ほっとする象徴というものがあるんだろうと思います。
○安倍内閣総理大臣 ただいま坂本委員から、西南戦争の際に熊本城が焼失したときの熊本の方々の気持ちについて述べていただいたところでございますが、それぞれの地域にはそれぞれの地域の誇りがあるんだろうと思います。常にそこにある、見ることができる、あるいは、ふるさとに帰ったときに、ああ、帰ったんだなと、ほっとする象徴というものがあるんだろうと思います。
佐賀の乱、西南戦争から太平洋戦争までの戦没者ら、およそ一万三千三百人が眠っております。墓地は財務省所管の国有財産ですが、関係自治体に無償貸与されているため、施設の管理、補修は自治体の負担とされております。
晋どんとは、西郷隆盛が西南戦争の最後で介錯を頼んだ別府晋介のことで、くしくも晋介の晋の字と安倍晋三の晋の字が同じで、ついついイメージが重なり、不思議だなあと感心しています。 それはさておき、麻生大臣は、今からでも遅くありません、安倍総理に、晋どん、もうここでよかと、大臣留任を固辞すべきではないですか。麻生大臣、時に解読困難な本心を、誰にでも分かるように是非率直にお聞かせください。
ただし、西南戦争ですとかあるいは佐賀の乱ですとか、西郷隆盛さんやら江藤新平さんは、その後賊軍扱いということで合祀されていない。もちろん会津藩の方たちやら奥羽越列藩同盟なんというのは対象外なわけでありますけれども、こういう方たちもやはり内戦においてこの国のことを思いながら殉じていった人たちだ、そういう観点から、靖国神社に対しての合祀申し入れというものがこの間ございました。
明治維新のときの西南戦争のときも、また今回の第二次世界大戦の後の、あれはハイパーではありませんけれども、インフレ率一八〇%、二〇〇%とかよく言われますけれども、あのときは戦争によって生産施設のほぼ八五%から九〇%は破壊されております。したがって、生産設備ゼロからスタートしたんですから、状況は全く違っておると思います。
明治期、西南戦争で天守閣が焼けるさまを見て、熊本の城下の人たちは、本当に膝を折り手を合わせて涙をはらはらと流して、心の支えを失った、それを嘆いたということでございます。熊本城の再建について、何としてでも、心の再建ということでよろしくお願いいたしたいと思います。 さらに、熊本城だけではありません。
特に、南阿蘇村におきましては、戊辰後、会津藩士で家老だった佐川官兵衛が西南戦争で従軍しまして戦死をしたゆかりのあるところでございまして、かなり交流をしてまいりまして、地元の方々、本当に、安否といいますか、心配であります。 まだまだ厳しい状況なんですけれども、一日も早い復興と安否確認ということで、本当に私も胸が痛い思いをしております。
西郷隆盛による西南戦争が始まるまだ二年前であります。近代国家として世界の仲間入りをして間もなくの年であります。それから、幾多の内乱、さらには日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、日中戦争、そして太平洋戦争に至るまで、この七十年の間に日本は幾多の戦争を経験をしてきました。
靖国神社には、第二次世界大戦において命を落とされた方々のみならず、第一次世界大戦、あるいは日露戦争、日清戦争、さらには一八五三年以降、明治維新、西南戦争等、国内の騒乱において命を落とされた方々も含めて二百四十七万人の方々が神社に祭られているということ、その二百四十七万人は男女の区別あるいは身分の区別なく祭られているということ、女性も五万人以上の方々が祭られていることなど、こうした靖国神社の実態から丁寧
今の総理の御発言の中にもありましたけれども、中央銀行、日本でいえば日銀の独立性をなぜ担保しなければいけないかというと、政治家は、ある意味では、先ほどは西南戦争の話がありましたけれども、政策を行う、どちらかというと政治家というのは人気取りのための政策も行うでしょう、そういったときに、お金をどんどん中央銀行がその裏づけとして刷っていく、いわゆる財政ファイナンスという言葉になるわけですけれども、そういったことがあってはいけないという
○安倍内閣総理大臣 いわばこれは、日本においては、かつて、西南戦争のときにどんどん貨幣を発行した。これは、中央銀行と政府が分かれていなかったということでありますが、大変なインフレになってしまったというところから、中央銀行と分けていくわけでございますが、その後、さきの大戦以前の高橋是清の金融政策がございます。
そういう副作用はありましたが、結果的には西南戦争当時も含めて紙幣発行によってこれを賄ったと。 それからもう一つ、例えば関東大震災、さらに太平洋戦争等についても、そういう意味では、その後の大変なインフレはありましたけれども、大量紙幣発行によると。ただし、それは政府券とか軍票、様々なものが混在をし、混乱を招いたことはあったというふうに聞いております。
西郷南洲翁がなぜ征韓論を唱えてついには参議を辞して鹿児島に帰られて、西南戦争を本意ならずとしてもその総大将に祭り上げられて倒れていくという過程が、その遺訓とどう、何というんですか、遺訓に沿っておるのか、遺訓と擦れ違ったところがあるのか、これまた私どもは拳々服膺しなければならないと思います。 それで、属国論の話を先生と、丸山さんと電話で話した記憶は全くございません。
○平野達男君 舞台は確かに西南戦争の舞台で、それを開始から終了まで、どちらかというと時間系列的にドキュメンタリー風に描いた小説で、女性の話は一言も出てこない、味もそっけもない小説だという評価もありますが、私は大変好きな小説であります。 この小説の後書きにこういう記述があるんです。
ただ、西南戦争をめぐる大久保利通グループと西郷グループのある種、言うに言われないというか、やむにやまれない成り行き的な戦争の中での、警視庁の長官ですかね、になった、川路という名前だったと思いますが、その人の活躍というか活動を、いいにつけあしきにつけ、そのことがちょっと頭に残っている程度でございます。
我が国は、教育に関しまして非常に特別な配慮と強い重大関心事を持ち続けてきたということ、これは、近代日本の建設時に、岩倉使節団がまだ帰朝する前に、明治五年、西郷首班政権のもとで学制が発布されまして、それから、憲法あるいは帝国議会が開設されるのに先立ちまして、明治十年、まさに西南戦争の時期に東京大学が設立され、そして帝国大学令が発布され、また、明治二十三年、国会開設と同時に教育勅語が発布された。
日本人の最近学生さんを教えていて、戦後と言うと何か湾岸戦争後だったりイラク戦争後だったりする方がいるんですけれども、熊本とか鹿児島に行って戦争と言うと、何か薩摩の西南戦争のことを言っているおじいちゃん、おばあちゃんがまだ生きているという話を聞いたことがあるんですけれども、アメリカの人にとってはザ・シビルウオーというのはこの南北戦争で、本当にたくさんの人が死んだ戦争で、ザ・シビルウオーという言葉の持つ
これは、過去、例えば日本でも明治、西南戦争の当時、戦費調達のために政府紙幣とかあるいは国立銀行紙幣を大量に発行して激しいインフレに見舞われたと。そこで、政府とは独立した日本銀行というものを設立して、その中央銀行に、今まで流通していた巨額の政府紙幣や国立銀行紙幣の回収整理が行われたと。
これは、もう一見してわかるとおり、西郷隆盛の西南戦争をモチーフにしておろうかと思いますが、西郷信奉者の私としましては、いま一つ描き切っていないなという個人的な不満はありますけれども、それはさておきまして、私が大変驚きましたのは、見終わりまして映画館から出てくる人たち、老若男女いっぱい行ったんですけれども、若い人たちが泣きながら、感動したと言って、たくさん出てくるさまに驚きました。
これは明治維新、西南戦争が終わるまで十年でございます。それから、これは治安だけの問題でございませんが、一つの復興が実現するためには様々な要因があって一概には申せないかもしれませんが、日本がもはや戦後ではないと経済白書でうたったのは昭和三十年、これも終戦から十年掛かっております。ですから、それぐらいの時間を覚悟しながら地道に積み上げていくということによって初めてイラクに平和がもたらされるだろう。
西南戦争以来ずっとこの問題、(発言する者あり)いや、本当ですよ、国有林の問題というのは大変な問題なんですから。日本の山を守るというのは大変なんですよ。それが今林野庁になって、本当に林野庁の職員の皆様、山の現場で御苦労されて日本の山を守ってくれている。それは敬意を表しているんです。